タンザニア協力隊日記

JICA青年海外協力隊としてタンザニアで過ごした日々の記録。現地の人と向き合う様子から自分と向き合う様子を1日1フォト1ブログで。日々模索。

朝のお掃除

Hamjambo! カナです。

 

半年ぶりにブログを開いてみました。

自分の放置ぶりが恐ろしい。。
これを気まぐれで開いてくれた人がもしいたらそれまた尊すぎで恐ろしい。。

 

というわけでありがとうございます。

きっかけはぐー⚪︎るふぉ⚪︎さんの「1年前の今日」で出てくるタンザニアの風景が目に入ったことですね。

 

帰国してからももうすぐで1年。私自身の環境もだいぶ変わりました。

その関係であまり露出できなくなりましたが、タンザニアでの生活は消えることなく私の中で生き続けています。

 

1年前まで当たり前に見ていた風景。朝7:20頃の学校の様子。

私がいた小学校はお掃除から1日が始まります。

一人一本ホウキを持っていて、校庭(どこから学校の敷地かわからんくらいに広い)や教室の中を掃きます。

 

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カメラ向けた途端動き出す子も・・・

 

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このTシャツ私も欲しいなと思いながら

高学年の選ばれし生徒は、職員室や図書室といった場所を任されます。

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雑巾掛けも丁寧に。

タンザニアの人たちは何か作業をするとき、膝を曲げてしゃがむことをしません。

掃除に限らず、洗濯のときも。

明確な理由はわかりませんが、こういった姿勢をよく見ます。

 

はっ!これがもしかして、美脚の秘訣なのか・・・!

 

7:45、集合して整列。8:00授業スタートです!

1年前の今日を思い出す〜さよならダルエスサラーム〜

Hamjambo!
こんにちはカナです。
1日1フォト1ブログを掲げて3日で終了するという典型的な三日坊主を披露していることに笑いが止まりません(白目)
でも誰かが言っていました。
3日坊主だっていい、それでも何回もやり始めて、止まってはまたやり始めて・・・を繰り返せば、長い目で見ると継続なんだって。
いろんな声が聞こえてきそうですが、ポジディブにいきましょう

 

そして1年前の今日9月13日は、約1ヶ月の首都での語学学校生活を終え、いよいよそれぞれの任地に向かう日でした。
Googleフォトさんに教えてもらわなければ気づきませんでした・・・

ありがとうGoogle

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首都ダルエスサラームを朝6時に出てモロゴロ州に向かう私たち。
隊員によってはワークパーミットが発行されていなかったり、体調を崩されたり等の理由で当日出発できなかった。

JICAが手配してくださった専用バスに荷物を詰め込み広々と使いながら乗り込んだ。

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詰め込まれた荷物たち。風呂敷大活躍

州都までは4〜5時間。私が赴任するマングラ村までは8〜10時間ほどかかる。
8月末に1週間の事前任地訪問があったのだが、その際には公共交通機関を使っての移動だったため、暑いし狭いしで隊員一同交通の困難さに撃沈した。
それに比べ、貸切の車はなんとまぁスムーズ。
途中朝ごはんを食べるため休憩所に寄り
優雅なもんだなぁぁぁありがてぇえええと思っていた
その3時間後。

 

なぜか道の途中で止まるバス。

降りてみると前にも後ろにも車がズラーーーーっと。渋滞?

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謎の通行止め。ドライバーさんたちもなんだなんだ?って

訳を聞くと、お偉いさん方が通るとのことで、
その車が通り過ぎるまで私たちは待っていなければならないらしい。

ほぉーなるほど。さすが、出発した直後から予定通りに事は運ばないものです

 

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こんな景色に囲まれているなら、悪くないだろう

30、40分ほど待ったかな。
やっとヒュ〜ンと旗を掲げた車が通り、ドライバーたちが一斉に動き出した。

この一瞬のために私たちは待っていたのだと思うとおかしいくらいに、シュンと、文字通り「あっ」という間抜いていったのだ。

 

さて、州都にて冷蔵庫など、村では買えない物を購入した。
私たちが購入した中型冷蔵庫は130万シリング(TSH)。日本円にすると約6,000円。

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任地でお隣さんとなる隊員。2人で1台購入する事に。

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椅子に座らされた冷蔵庫。ガタガタ道でかなり暴れる。

州都を離れると本格的に景色が変わる
というか道が変わる。

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アンテロープ。サファリのエリアにはうようよいる

ライオンが出てきそうな景色だが一度も見れたことはない。
よく見るのはアンテロープ、運が良いとしまうま、キリン、象が見れることも。

少々荒れたアスファルト道から、アスファルトさえ無い道へ。
赤土凸凹道でこれでもかというくらいに乗っている私たちも上下に揺れる。お尻が痛い。

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村が近づくと窓から見える景色はこんな感じ

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この時胸を高鳴らせながら見えた高いヤシの木やレンガ積みの家は
この後一度も写真を撮ることがないほどにもうすっかり見慣れたものになった。

夕方17時半頃。ようやく家にたどり着いた

大家さんがあたたかく迎えてくれた。
12時間近くバスに揺られていた私たちはしばらく休みたいな〜ご飯簡単に済ませて寝たいな〜と思ったら


大家「さぁ君たちのために用意したテレビをつなぐぞ・・・あれ、コンセント口足りない。タコ足回線コードまだ買ってない?繋げないじゃないか!今から買いに行くぞ!」と車で私たちを連れ出し
ついでに夕飯のお肉を買うといい・・・

ようやく夜ご飯にありつけたのは20時過ぎ。
いつもこのくらいの時間らしい。
家に戻ったのは22時近くだったかなぁ・・・
私たちのために用意してくれた豚肉と大家さん手作りのご飯でお腹が満たされ
優しさに心満たされ
テンションは高くアドレナリンが出切ったあとの疲れは一気にくるもので(以下略)

 

この日は金曜日だったので、全ては明日土曜日に託して私と隣人隊員は即寝ました。

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1年前かぁ・・・こうして振り返ると、本当に不思議な感覚。
たしかにそこに私はいたんだよなぁ。
始まったばかりかと思ったら1ヶ月経ち、100日経ち、2019年が終わり、半年経ち、、

振り返りつつ、現地で感じたこと得たものを整理してきたいものだ。

 

蓙をたずねてさんぜんり

Hamjambo!
カナです

おとといから始めた1日1フォト1ブログ。
スワヒリ語では1=moja(モジャ)、日=siku(シク)、写真=picha(ピチャ)なので
1シク1ピチャ1ブログになるよな〜と、自転車漕ぎながら気付きました。
帰国してからも現地の人から時々電話をするのですが
全然単語が出てこなくて。
向こうにいた頃は、日本語を喋っていても勝手に脳内でスワヒリ語に転換されていくくらい慣れてきていたのに
やはり使ってないとどんどん忘れちゃうんだなぁって。
えーらいやっちゃえーらいやっちゃ(ヨーイヨーイヨーイヨーイ)

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本日は、昨日の蓙(ござ)の話関連で、忘れられない職人さんの写真です。

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蓙を編んでいるおばあちゃん

月日はだいぶ飛びまして12月19日の話
学校が長期休暇に入ったので国内旅行をしようとキルワという場所に行きました
キルワ・キシワニ島には世界遺産の遺跡があるんです。
*詳細は以前使っていたnoteに投稿した記事を*

note.com

そこでも投稿して繰り返しにはなってしまいますが
キルワの村で市場を案内してくれたお姉さんの知り合い。
ご近所さん同士のたわいもない話に交ぜてもらったのですが
このおばあちゃんの笑った顔と、素敵な色合いの蓙がどうしても忘れられなくて。
そして服も。鮮やか!ハイセンス!素敵!!!
蓙は今でも完成していたら買いたかったなぁと思います。
任地の村では、残念ながら作っている人は見かけませんでした。

 

タンザニアの人たちが身につけるものはとってもカラフル。
日本だったら絶対浮くような上下派手派手でも、こちらでは全く。
濃い色同士でケンカしちゃうんじゃない?とも思うんですが
現地の人たちはとても素敵に着こなします。
羨ましい。
好きなものを好きなように自由に着こなせる環境が大好きでした

 

暑い夏。夏といえば畳。畳といえば蓙(無理矢理感)

なぜ夏と畳が結びつくかって?

昔柔道部だった私
夏休みの稽古終わりあまりの暑さに練習後道場の上でへばっていたのと
帰ってからも畳の部屋で寝っ転がり、涼みながらお昼寝した
そんな記憶からでしょう

というわけで<蓙愛>が止まらない

木の下のママ

Hamjambo!
カナです。

8月に入り一気に暑くなりました。こんな急に変わるもの?
7月からお世話になっている職場には自転車で通っているのですが
涼しいはずと期待していた早朝も汗かきまくり。ぐちゃぐちゃの状態で到着。
つい数週間前までは雨で合羽着て、めんどいよ〜
はやく梅雨明けてほしいわぁ〜なんて言ってのに
もうギラギラ太陽にむわっとした空気。
今日は朝から陽炎が見えました
間がほしいです。「良い加減」てやつが。

ちなみに、基本的には毎日片道6kmの通勤なんですが、
ここ最近期間限定のお勤め先も増えたので走行距離はプラス片道11km
それぞれ往復し1日計30kmを越えています。坂がツライ
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さて、今日の写真はこちら

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木陰で仕事するママたち

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木の下蓙の上

 前回の記事*で紹介した写真と同じ9月14日(土)の写真。

sakana822.hatenablog.com

 やはり赴任した初の散策日は自然とシャッター切る回数も増えるらしい。

 

ご近所さん同士のママたちが、外でご飯の準備をしながらおしゃべりをしていた。
この村ではよく見られる光景。

なぜ外なのか?

家に電気がないからだ。
あったとしてもあまり明るくない。外の方が明るいし涼しい。
ご近所さんたちとおしゃべりもできるし、一石二鳥三鳥か。

とはいえ毎日特別楽しいことがあるわけでもないので
浮かない表情でただただ座っているだけ・・・という人がほとんど。
男の人は特にそう。女の人に比べて家のことをしないから。
(この国では家事は女がやるものという文化が疑いもなく根付いたまま)

だからなにか面白いもの(私たち)を見つけると「こっち来なさい!」と呼び止めるのだろう。

村にいる頃は、それがだんだん面倒になって、実際ただ座っているだけの時間なんてもったいないとしか思わなかったから「忙しいんだー!またねー!」って断っちゃってたな

何を急いでいたんだろう。
もっと彼女たちとただ座っているだけの時間を過ごしたいなと、今なら思う。
また違った景色が見えたかもしれない。

 

ちなみに写真に写っている蓙、私も欲しすぎて買ってしまいました。

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ギリギリ部屋に敷けた。これが大きいのか部屋が狭いのか。

赴任して2ヶ月半経った、12月頭に購入。これで床に寝っ転がれる!!
デザインいろいろ。おっしゃれ〜
割とお手軽な値段で買える。値段忘れたけど

 

Pole Pole~

「笑顔No.1ガール」

Hamjambo~!
「元」協力隊員のカナです
1日1フォト1ブログをモットーに、このブログを続けていこうと思います。
振り返れば振り返るほど、こんなにもたくさん素敵な写真あるのに!!もったいない!!
・・・って思うくらい、ブログ更新していませんでした。
過去の自分にお説教です。スミマセンでした。

発信したいけど、これ整理していくのは大変だぞ・・・ということで

日付で辿ろうとするとだいぶ面倒なので
その日の気分に合わせてチョイスした写真+エピソードで、協力隊生活を振り返っていきたいと思います

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今日の写真はこちら

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赴任したばかりの頃、9月14日土曜日。同期隊員と一緒に村を散策中に出会った人たちです。
特に真ん中の女の子、ずーーーっとキャッキャケラケラ笑っていた

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口の中にゴハン!!

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笑いが止まらない、こちらもつい笑ってまう

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べっぴんさんすぎる

モデルさんのように笑い方もバリエーションいっぱい
くしゃっと笑ったり、がははと口を開けてみたり。

ちなみに一緒にいた弟君は対照的でとってもシャイ。
それでも逃げないでくれた。ありがとね。

彼女の着ている服は色鮮やかであるものの、
破れたり砂まみれだったりで
決して綺麗ではなかった。
それでも
私が半年村で出会ったたくさんのキラキラ笑顔の中でも
彼女が不動のNo.1。
そんな眩しい笑顔で周りを元気にしてしまう、
とてつもないパワーをもつ彼女の虜になったのは言うまでもない。

「楽しいから笑うよりも笑ってれば楽しいことあるかなって」
誰かが言ってたな〜
どんな時もたくさん笑っていたいね。

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こんな感じでやっていければと思います!

え?1フォトじゃないやんて?
・・・目安の話や(逃)

またな!「協力隊」

今日は私たちが避難一時帰国となった日から120日目。「元」協力隊員となる日。

 

今回新型コロナウイルスの影響で一時帰国を強いられた協力隊員たちには、待機期間120日を境に今後の対応について3つの選択肢が与えられた。

それぞれの詳しい内容は伏せるが
私はその選択肢のうち、この120日目をもって協力隊としての身分を降りることに決めた。
しかし再び派遣してもらえるようチャンスを残したく「特別登録」をする。
このまま終わるのはなんかいやだ。

たった半年、されど半年

10年間憧れて参加に至った協力隊が、こんな形で終わると思っていなかった。
それに関しては、正直本当に悔しい。

とはいえ、現地で自分が全身全霊で活動に取り組めていたかというと、そうでもない
やり残したこと、甘えが出たこと、逃げたこと、たくさんある
現場経験がない私が行くには早かったかと自分の無力さを痛感した。
となると
どうせダメダメな自分があのままズルズルと時間を過ごしていたかもしれない未来を考えれば、
この一時中断は神様の計らいとも捉えていいのかもしれない。なんてね。

自己都合が過ぎる解釈はさておき

半年行ったことで知れたこともある。
そして教育について、タンザニアについて、国際協力についてめちゃめちゃ考えた。
目で見て肌で感じたからこその学びだと思う。

このタイミングで行ったことが正解かどうかわからない

日本の中で経験を経験を積んでから参加したら違うドラマがあったかもしれない。

でも、新卒ならではの体当たりドラマも、これはこれでいいだろう。

しばらくは日本でやれることをする
身近なところでも求められることはあって、
また新しい出会いと学びの日々である。

いつ世界に飛び出せるかわからないが、
今は与えられた環境で自分を高め、再び派遣してもらえるチャンスがあれば
おNewバージョンの私で挑みたい

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2019年8月末。村に赴任したて頃

どこかでキラキラの協力隊を想像していた自分
今ではそれは容易でないことも知り、愚かな考えであったこともわかった。
自分が何をしたいか
キラキラよりもギラギラ、いや、
ギンギラギンレベルで生きて何事にも挑戦し続ける人生でありたい
さりげなくね。

 Be happy!

一時帰国 子守隊員やってます

Hamjambo!

お久しぶりです、カナです

 

2019年8月に日本を出て、丸2年帰らないつもりだったのに

 

まさか7ヶ月で日本語まみれの列島の地を踏むとは思わなかった。
2020年の桜やつつじを生で見れるとは思わなかった。

 

お湯が出る、湯船に浸かれる、電子レンジがある、ご飯の選択肢が多い、家の中も外も明るい
日本での生活は思いの外すぐに順応し

今となっては
ギラギラ太陽のもと赤土を被り
喉おかしくなるくらいに大声で授業して
子どもと走り回ったあの時間が夢のように思えてしまいます

 

というわけで、みなさんご存知コロナ感染拡大の影響により
世界中に散りばめられた協力隊員は全員一時帰国となりました。
(新聞やニュースでも取り上げられていたようですね)

 

調整員の方々がドタキャンを繰り返しながら飛行機のチケットを手配してくださり
ギリギリで無事帰国することができました。感謝です。

 

さて、帰国して2週間は施設にて待機(隔離)

そこから実家に帰り、我慢、というか、それなりに楽しんだかも

本読んだり
ピアノ弾いたり

そうそう、キテンゲでマスクを作ってみたり

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村のフンディに作ってもらった服の余り布で

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外でつけるにはちょい勇気がいるが気にしない。派手。

大量生産しようかと思ったけど、意外と増えなかった。10個も作ってない。
シュシュとか小物も作ろうとしたが、進んでない。

 

「え、時間あるんじゃないの?何してるの?」

 

よくぞ聞いてくださいました。

 

海外協力隊が「家庭内協力隊」に?

 

3月までタンザニア小学校隊員だった私は

現在日本で子守り隊員やってます

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うへうへしちゃう。まだおばちゃん呼びに慣れないけど。

 

いきさつ。
4月中旬に姉夫婦の元に新しい命が誕生しました。
本来であれば私の母が育児の手伝い等に行く予定でしたが
このご時世、仕事もある中で県をまたぐ移動が頻繁にできないため
急遽帰国となり手が空いている私が派遣されることとなったのです(・ω・)

 

ちと大層な言葉使ってますが、シンプルにお手伝い。笑

 

というわけで、子守隊員のお仕事は

姪ちゃん(以下姪っ子をこう呼びますね)のお世話プラス家事全般

 

正直このお手伝いを頼まれた時
かわいい姪ちゃんに会えて、姉とも話せて、のんびりゆったりの生活を想像していました

 

実際は、

 

休みがない!!!!寝れない!!!!!

赤ちゃんのお世話は24時間体制、

おむつ替えや授乳の頻度も不定期でやたら多い。振り回される大人3人。

 

「赤ちゃんほぼ寝てるんじゃないの?」
私も思っていました。が
やっとすやすや寝た〜と思っても、

汗かいてないかな、逆に寒くないかな
寝ている間に吐いちゃったりしてないかな
窒息の恐れもあるな

赤ちゃんの動きは予測不可能です
気は抜けないことがわかりました
不安すぎて、寝れない・・・
でもずっと起きてるの眠い・・・

 

育児は想像以上に体力勝負・精神力勝負でした。

自分の時間はめっきり減り、
1日1日が長い戦いのようで、でも終わればあっという間で・・・

 

でも、嫌じゃないんです

どんなに生活リズム崩れても。睡眠削れても。

大変だけど、1日中好きで動けている自分がいます。

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赤ちゃんに触れるのは初めてではありません

知り合いだったり、保育園での職場体験だったり
抱っこさせてもらったこともあります

でも今回のように、赤ちゃんの生活にどっぷり浸かりお世話するのは初めてです

「かわいい〜」とよしよしなでなでするだけで済む話ではありませんでした

 

子どもの成長に寄り添う育児

もちろんその責任は大きいです

触れ方ひとつまちがえたら、すぐに壊れてしまいそうな淡く尊い小さな重い命

赤ちゃんを抱いて、愛しさと怖さを感じました

 

世の中の子育てをするすべての人たちの苦労を知った今

健康で、何事もなく過ごし、年を重ねることができるって当たり前じゃないんだなぁ

そりゃことあるごとに成長感じたら、感動して涙も出ちゃうよなぁ。なんて

まだまだ親に面倒見てもらってる娘がゆうてます。

 

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一時帰国。このような事態を冷静に受け止めることができている、とは言い難いです

JICA。協力隊。10年間抱き続けた夢がやっと叶ったのに

2年後の姿を想像して夢焦がれては、現実との差に全てが嫌になります

でも、物事にはすべて意味があると思っていて
これもひとつの導きあってのものかも、と考えます

 

兄に言われた言葉
「このような状況で何かを肯定するのは難しいものの、

カナ帰国の巡り合わせは、姪ちゃんにも必要だったと言えるかもね」

 

赤ちゃんとの出会い。育児体験。
私の力を必要としてくれた家族。
大したことではないけど、私の働きを喜んでくれる人。
その見返りがなくても、赤ちゃんを抱いている時に伝わる小さくて重い尊い命。

守りたい。支えたい。
そして子どもが生きる上で関わる人を含めた環境全て、少しでも平穏が続くよう
お手伝いがしたい。

 

少なくとも、私自身には気づきがいろいろあって

自分の道が少し見えてきた気がする

 

海外に行ったからこそ日本での身近な部分に注目し考えることができた

私にとって、これはこれで必要な経験だったのかもしれない。とか

 

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帰国して今日までの間、タンザニア関係者内で一度Online報告会で発表させていただきました。
その際「たかが半年、されど半年」な内容を振り返り整理してみましたが
やっぱりやり残したことがありすぎました
「そのうち」が来ぬまま任地を離れることになった私たち。後回しはいかんね。

 

協力隊に関しては、まだまだやはり先が見えません
でも、タンザニアに戻りたい気持ちは変わりません

 

帰国してから祖父に手紙を送った
返事の手紙に、祖父お得意の短歌が贈られた

 

" 子どもらと赤土被りしタンザニア コロナで帰国志半ば "

 

そう、まだ私の志はまだ途中。完結していません
まだまだ追いかけ続けるつもりです

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さて、これから自分は「誰のために」動くか、わかってきて
道が見えてきたとはいえ
まだ覚悟ができたわけではないし
「どこで」と明確になったわけではありません(弱腰)

でも今は、日本だろうと海外だろうと、どんな状況下にある人が来ようと
対応できるよう
自分のスキルアップを図りたいと強く思うようになりました
何を高めるかも、絞れてきた
とにかく、今は勉強してみたい

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まだまだ書きたいことはありますが
また子守隊員の活動ぶり
そしてタンザニアでの生活日記を(めちゃめちゃ下書き溜まってる)
ちょくちょく発信できればと思います

 

今はまだヒローーーーイ海にプカプカ浮かぶ小さなボートに乗って
ゆらゆら揺られているイメージ。
どこに行くかわからない
そこでオールを握るか否か
自分の力で漕ぎだすか否か
決めるのは、自分

 

Be happy