タンザニア協力隊日記

JICA青年海外協力隊としてタンザニアで過ごした日々の記録。現地の人と向き合う様子から自分と向き合う様子を1日1フォト1ブログで。日々模索。

一時帰国 子守隊員やってます

Hamjambo!

お久しぶりです、カナです

 

2019年8月に日本を出て、丸2年帰らないつもりだったのに

 

まさか7ヶ月で日本語まみれの列島の地を踏むとは思わなかった。
2020年の桜やつつじを生で見れるとは思わなかった。

 

お湯が出る、湯船に浸かれる、電子レンジがある、ご飯の選択肢が多い、家の中も外も明るい
日本での生活は思いの外すぐに順応し

今となっては
ギラギラ太陽のもと赤土を被り
喉おかしくなるくらいに大声で授業して
子どもと走り回ったあの時間が夢のように思えてしまいます

 

というわけで、みなさんご存知コロナ感染拡大の影響により
世界中に散りばめられた協力隊員は全員一時帰国となりました。
(新聞やニュースでも取り上げられていたようですね)

 

調整員の方々がドタキャンを繰り返しながら飛行機のチケットを手配してくださり
ギリギリで無事帰国することができました。感謝です。

 

さて、帰国して2週間は施設にて待機(隔離)

そこから実家に帰り、我慢、というか、それなりに楽しんだかも

本読んだり
ピアノ弾いたり

そうそう、キテンゲでマスクを作ってみたり

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村のフンディに作ってもらった服の余り布で

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外でつけるにはちょい勇気がいるが気にしない。派手。

大量生産しようかと思ったけど、意外と増えなかった。10個も作ってない。
シュシュとか小物も作ろうとしたが、進んでない。

 

「え、時間あるんじゃないの?何してるの?」

 

よくぞ聞いてくださいました。

 

海外協力隊が「家庭内協力隊」に?

 

3月までタンザニア小学校隊員だった私は

現在日本で子守り隊員やってます

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うへうへしちゃう。まだおばちゃん呼びに慣れないけど。

 

いきさつ。
4月中旬に姉夫婦の元に新しい命が誕生しました。
本来であれば私の母が育児の手伝い等に行く予定でしたが
このご時世、仕事もある中で県をまたぐ移動が頻繁にできないため
急遽帰国となり手が空いている私が派遣されることとなったのです(・ω・)

 

ちと大層な言葉使ってますが、シンプルにお手伝い。笑

 

というわけで、子守隊員のお仕事は

姪ちゃん(以下姪っ子をこう呼びますね)のお世話プラス家事全般

 

正直このお手伝いを頼まれた時
かわいい姪ちゃんに会えて、姉とも話せて、のんびりゆったりの生活を想像していました

 

実際は、

 

休みがない!!!!寝れない!!!!!

赤ちゃんのお世話は24時間体制、

おむつ替えや授乳の頻度も不定期でやたら多い。振り回される大人3人。

 

「赤ちゃんほぼ寝てるんじゃないの?」
私も思っていました。が
やっとすやすや寝た〜と思っても、

汗かいてないかな、逆に寒くないかな
寝ている間に吐いちゃったりしてないかな
窒息の恐れもあるな

赤ちゃんの動きは予測不可能です
気は抜けないことがわかりました
不安すぎて、寝れない・・・
でもずっと起きてるの眠い・・・

 

育児は想像以上に体力勝負・精神力勝負でした。

自分の時間はめっきり減り、
1日1日が長い戦いのようで、でも終わればあっという間で・・・

 

でも、嫌じゃないんです

どんなに生活リズム崩れても。睡眠削れても。

大変だけど、1日中好きで動けている自分がいます。

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赤ちゃんに触れるのは初めてではありません

知り合いだったり、保育園での職場体験だったり
抱っこさせてもらったこともあります

でも今回のように、赤ちゃんの生活にどっぷり浸かりお世話するのは初めてです

「かわいい〜」とよしよしなでなでするだけで済む話ではありませんでした

 

子どもの成長に寄り添う育児

もちろんその責任は大きいです

触れ方ひとつまちがえたら、すぐに壊れてしまいそうな淡く尊い小さな重い命

赤ちゃんを抱いて、愛しさと怖さを感じました

 

世の中の子育てをするすべての人たちの苦労を知った今

健康で、何事もなく過ごし、年を重ねることができるって当たり前じゃないんだなぁ

そりゃことあるごとに成長感じたら、感動して涙も出ちゃうよなぁ。なんて

まだまだ親に面倒見てもらってる娘がゆうてます。

 

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一時帰国。このような事態を冷静に受け止めることができている、とは言い難いです

JICA。協力隊。10年間抱き続けた夢がやっと叶ったのに

2年後の姿を想像して夢焦がれては、現実との差に全てが嫌になります

でも、物事にはすべて意味があると思っていて
これもひとつの導きあってのものかも、と考えます

 

兄に言われた言葉
「このような状況で何かを肯定するのは難しいものの、

カナ帰国の巡り合わせは、姪ちゃんにも必要だったと言えるかもね」

 

赤ちゃんとの出会い。育児体験。
私の力を必要としてくれた家族。
大したことではないけど、私の働きを喜んでくれる人。
その見返りがなくても、赤ちゃんを抱いている時に伝わる小さくて重い尊い命。

守りたい。支えたい。
そして子どもが生きる上で関わる人を含めた環境全て、少しでも平穏が続くよう
お手伝いがしたい。

 

少なくとも、私自身には気づきがいろいろあって

自分の道が少し見えてきた気がする

 

海外に行ったからこそ日本での身近な部分に注目し考えることができた

私にとって、これはこれで必要な経験だったのかもしれない。とか

 

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帰国して今日までの間、タンザニア関係者内で一度Online報告会で発表させていただきました。
その際「たかが半年、されど半年」な内容を振り返り整理してみましたが
やっぱりやり残したことがありすぎました
「そのうち」が来ぬまま任地を離れることになった私たち。後回しはいかんね。

 

協力隊に関しては、まだまだやはり先が見えません
でも、タンザニアに戻りたい気持ちは変わりません

 

帰国してから祖父に手紙を送った
返事の手紙に、祖父お得意の短歌が贈られた

 

" 子どもらと赤土被りしタンザニア コロナで帰国志半ば "

 

そう、まだ私の志はまだ途中。完結していません
まだまだ追いかけ続けるつもりです

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さて、これから自分は「誰のために」動くか、わかってきて
道が見えてきたとはいえ
まだ覚悟ができたわけではないし
「どこで」と明確になったわけではありません(弱腰)

でも今は、日本だろうと海外だろうと、どんな状況下にある人が来ようと
対応できるよう
自分のスキルアップを図りたいと強く思うようになりました
何を高めるかも、絞れてきた
とにかく、今は勉強してみたい

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まだまだ書きたいことはありますが
また子守隊員の活動ぶり
そしてタンザニアでの生活日記を(めちゃめちゃ下書き溜まってる)
ちょくちょく発信できればと思います

 

今はまだヒローーーーイ海にプカプカ浮かぶ小さなボートに乗って
ゆらゆら揺られているイメージ。
どこに行くかわからない
そこでオールを握るか否か
自分の力で漕ぎだすか否か
決めるのは、自分

 

Be happy